
前日(8/16)に御前崎のM君宅に集合、テントの準備や積み込みをして翌朝に備えた。
8/17早朝4:30、CB500x2台+TS400の3台で九州へ向けて出発した。
ところが、浜名湖あたりでTS400がついて来ない。
路肩に止まってしばらく待っていると、音ばかり大きいTSがゆっくり近づいてくる。
ギアがローにしか入らず、シフトアップできなくなったらしい。
三ケ日ICで降りて近くのガソリンスタンドで調べたらギアオイルがほとんど空っぽだった。
ギアオイルを注入して再スタート。

しばらく走ったら、またTSがついて来ない。
路肩に止まって待っても、なかなか来ない。
M君は「パトカーが来たら教えてくれよ」と言いながらノリ面を降りていき、立ちシ○○しようとしたところへ本当にパトカーが来た!あわてて上がって来るM君。パトカーから降りて来た警官は「友達は荷物が燃えてしまって、片付けしてるから、まだ来ないよ。でもこんな所で止まってちゃダメだ。」
と言って始末書のようなものを書かされた。
サイドバッグの片方がマフラーの熱で発火して荷物が半分燃えてしまったらしい。幸いな事に現金や貴重品は反対側のサイドバッグに入っていたので無事だった。
まあ、こんな幸先の良い!スタートで早くも一泊目は姫路で妥協する事になった。(宿も一切予約せず、行き当たりバッタリのツーリングである。)
この頃は中国自動車道が未開通だったので名神を西宮で降りた後は2号線をノロノロ走り、ノロノロついでに姫路城を見ていこう。

姫路城は広くて迷路のようだった。
姫路城の近くで、燃えてしまった荷物
(ほとんどが服だったと思う)の代わりを買い揃え、
手柄山青年の家YHに泊まる。

当時、ユースホステル(YH)がブームで、
1泊2食付きで900円程度で泊まれた事もあり、
夏休みは学生の大半が旅行に出かけていた。
YHは年会費を払って会員証を作り、
これと自分専用のシーツを持参で泊まる。食事も布団上げ下ろしもセルフサービス(当然布団にシーツは付いていない)、朝は部屋の掃除もやらされる。
だが、夜はミーティングと称して、みんなでゲームをやったり、歌ったりバカ騒ぎをしたり、結構楽しかった。
今思い出すと、酒も飲まずによく騒げたものだと思う。
(アルコールは一切禁止だった)

この「ユースホステル手柄山青年の家」は、
食事なしではあるが、1泊120円!

2日目(8/18)も2号線をトロトロ走って湯野温泉YH泊。

毎日昼過ぎ頃に、今日はどこまでいけるか考えて、
近くのYHに電話していた。

YHはハンドブックで選び、
往復はがきで事前予約が原則だが、
飛び込みでもほとんど泊まれた。

秋芳洞と秋吉台、ここは2日目だったか3日目だったかわからなくなってしまったが、もう早く九州へ行こうと言う気持もどこかへ行ってしまい、じっくり寄り道した。

この秋吉台の道路は気持ち良かった。
当時、この風防は暴走族御用達だったが、普通の人にも体が受ける風が大幅に軽減されて、ロングツーリングには欠かせない快適装備だった。

現在の愛車にも形は違うが採用中

関門橋を渡って九州に入り、今度は若戸大橋を渡った。
若戸大橋は車線間の通常は白線が引いてある部分がグレーチングになっていて、下の海が見えて面白かった。(関門橋もそうだったかな)

3日目は会員証のスタンプによると、フクオカ金剛閣YHに泊。

4日目(8/20)は福岡~唐津~伊万里~佐世保~長崎へ、グラバー邸や大浦天主堂などへ行ったと思うが、あまり記憶になく、坂の多い街中をグルグル走り回った事だけ覚えている。
泊まったのはやっぱり坂道の途中の長崎南方苑YH

5日目(8/21)は長崎からまず雲仙。
ここの登山道路はとても気持良く走れた。
島原へ下る道路で今度はM君がついて来ない。
今度はCBが故障か?と思って待っていたら、なんとM君は下り坂をエンジンを切ってグライダーのように降りてくる。「ガソリン代もったいないし、静かで気持いいぞ。」・・・のような事を言っていたと思う。
そこで3台とも島原までエンジンOFFでグライダー走行。

島原からフェリーで三角へ渡り、天草五橋を走った。
ここもとても気持ち良かった。(グライダー走行はできなかったが・・・)