川中島古戦場八幡社 学生の頃は歴史が一番苦手で、歴史上の人物や年表なんか覚えるのが苦痛だったけど、 実際に現地で遺跡を見て回り、そこに所縁の人物や史実の説明を見聞きするのがだんだん面白くなってきた。(歳のせい?)
この一騎打ち像の左には首塚が有る。
この首塚は上杉軍が後退した後、武田信玄が海津城の城主である高坂弾上に命じ、 敵・味方区別無く兵士数千人の亡骸を埋葬したもので、それに感激した上杉謙信が、
「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」
と、 北条・今川の包囲網によって塩を絶たれて困っていた甲斐の国に塩を贈ったと言うのは 有名な話。
・・というか「敵に塩を贈る」の意味は、このおじさんから初めて教わった。
一騎打ち-馬上上杉謙信 公園内を歩きながら次々と出てくるボランティアのおじさんの面白い話に引き込まれて聞き入ってしまった。
・・・が詳しい内容は思い出せない・・帰ってから調べたら面白いサイトが有った。
長野市特設サイト「川中島の戦い」
しかし、何百年も前の事が古文書などで詳しく残っているというのは凄い事だ。
だが、残っている古文書にも諸説あり、本当にここで一騎打ちが有ったのかは定かでないらしい・・ やっぱりそんなもんか。
一騎打ち-馬上上杉謙信 上杉謙信の刀を軍配で受ける武田信玄
樹齢700年の欅 「この御神木はね~、欅(けやき)なんだけど樹齢7百年なんだよ!  この木はず~っとここで武田信玄と上杉謙信の一騎打ちも見ていたんだよ~。」
執念の石 「これは執念の石って言ってね、ここに書いてあるけどね~、 当時の槍はもの凄く長かったんだよ~、4m以上あってね、 信玄の部下がね、親分が危ないってんで長ーい槍を振り回して謙信を返り討ちにしようと したんだよ、でも逃げられちゃったから悔しがってね、そばに有った石を突き刺したんだよ~」
12:31
ステーキのあすか 一通り説明を聞き終わり、おじさんにお礼を言って昼飯タイム。
昼は調べておいた「りんごを食べて育った信州牛」認定店「ステーキのあすか」
行ってみたら、・・なんか、どこかで見たような看板
13:09
ステーキのあすか 名古屋地区にたくさん有った「ステーキのあさくま」にそっくりだ。(全盛期には静岡にも出店していた)
調べたけど店の系列その他、関連は無いようだ。不思議!偶然でこんなに似るのか?
あすか店内 店は結構空いていて、すぐに座れた。
あすか店内 メニュー1
あすか店内 メニュー2
信州牛テンダーロインステーキ 注文したのは、もちろん「りんごを食べて育った信州牛」のテンダーロインステーキ200g
信州牛テンダーロインステーキ こっちのは150g
肉がやわらかくて美味かった~ でも乗っているバターが全部溶けてしまうと最後の方はバターがくどくなってしまった。
バターはすぐに取り除いた方が良いな・・・
だから後半はおろしポン酢を付けて食べて、これまた美味い。
貸切 満足して出てきたら、なんと満席の看板。
良かった~もうちょっと遅かったら入れないところだった・・
こんな看板が用意されていると言うことは予約で満席になる事が良くあるんだろう。
14:10
松代城(海津城)1 今日の宿の戸倉上山田温泉へ向かう途中、松代城に寄ってみた。
14:53
松代城(海津城)2 ここは山本勘助が築城し、信玄が川中島合戦時に本拠とした「海津城」だったんだけど、 何故か名前が松代城に変わったらしい。

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