信玄餅工場 ところで、ここは甲斐の国。
甲斐の国と言えば、もちろん武田信玄。
信玄についての調査研究のために帰り道を大回りしてやってきた…
13:34
信玄餅工場 信玄、信玄…
信玄餅工場 しかし、ここは武田信玄とはなんの関係も無いらしい…
我らの安倍川餅がルーツなのか。
こりゃ、あらためて安倍川餅の研究をしなければ…
信玄餅工場見学 まあ、せっかく来たんだから見学はしていこう。
13:35
信玄餅工場 ここは、やっぱりかなり機械化されている。
黒蜜を小さな入れ物に注入するのも自動。
13:37
信玄餅工場 餅をつく(こねる?)のも機械任せだ。
お?‥奥の制御盤に何かが見える。
13:37
信玄餅工場 やっぱり!
信玄餅も自動制御盤が無ければうまくできないらしい。
はっはっは~
信玄餅工場 しかし、最後の包装は見事な手作業だ。
流れてくる信玄餅を次々にビニールで包んでいく。
凄いものだ。
水琴茶堂信玄ほうとう 工場見学を終えたところで、もう一つ信玄についての研究…
「信玄ほうとう」
もう、なんでも信玄を付ければ売れると思ってんのか…
‥と思ったら、信玄餅とは違ってこっちはほんとうに信玄が陣中食として良く食べていたモノらしい。
ただ、信玄が考案したわけでは無く、もっとはるか昔、清少納言の頃から甲斐の国の名物として有名だったようだ。
13:52
信玄ほうとう ほうとうはでっかいカボチャが入っているのが決まりだ。
しかし、これはデカすぎるし、更に底の方にも同じようなカボチャが2~3個沈んでいた。
鍋もでっかいし、超満腹。
14:12
あべ川もち解説 さて、あべ川もちの偉大さにあらためて気づいた調査団は、六十何年かも住んでいながら初めて「元祖安倍川餅」の店を訪れた。
創業文化元年!
って、いつだよ?
1804年でした。
ただ、家康に献上したという慶長の頃というのは1600年頃であって、ちょっと時代が合わない…
「石部屋」として創業したのは文化元年でも、そのご先祖さまがもっと前から安倍川餅を作っていたのか?
元祖安倍川餅石部屋 「石部屋」はもちろん安倍川のほとりにたっている。
あべ川もち浮世絵 東海道五十三次の浮世絵にも登場する由緒ある店だ。
歌川広重の、この絵が描かれたのは1832年頃。
これは、ちゃんと時代が合っている。
この頃は、安倍川餅の店がたくさん並んでいたらしいが、今も残っているのは、この「石部屋」と、もう1軒だけだ。
安倍川餅石部屋 店内は、表から見た感じよりはけっこう広い。
テレビがついている奥の間は6人の座卓。
その手前に4人の円卓と6人の座卓。
入口横に4人の毛氈席。
全部で20人収容可能!
石部屋メニュー メニューは「安倍川餅」と「からみ餅」のみ。
当然、両方食べたいから1人前づつ注文した。
石部屋安倍川餅からみ餅 初めて食べた元祖安倍川餅!
駅で売っている安倍川餅とは違って、黄な粉と砂糖が分かれて掛かっているので、甘さの調節が自分でできるのがイイ!
こし餡は砂糖込みだけど、こっちも甘さ控えめで美味い。
実は、今まで安倍川餅よりも信玄餅の方が好きだったのは、駅安倍川餅の甘過ぎるこし餡がちょっと苦手だったからであったが、これなら大歓迎だ。
わさび醤油のからみ餅も、もちろん美味いが、欲を言えば大根おろしが欲しいところだ…
元祖安倍川餅石部屋 あんまり美味かったので、帰りにおみやげも購入。
残念なのは日持ちが1日しかない事だが、本物の餅だからまあ仕方ない。

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