いわ旅行記
写真で語る旅行記、地図付き。
2017年06月04日(日)~28日(水)
勤続40年!長かった~
しかし、とうとうその日は来た!
諸事情により日本全体を一度に廻る計画については一部見直しを行い、まずは北海道から攻める事とした。
ちなみに今回は地球環境調査団長のみの単独行である。
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(24日目)白河の関/日本の道実走調査東日本編その78
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山を降りて福島を通り過ぎ、二本松も通り過ぎ、郡山も通り過ぎて、いよいよ蝦夷・陸奥を出る。
それには当然通らなければイケない場所が有る。
15:33
白河の関は、江戸時代には既にどこに有ったのか分からなくなっていた?…
ほ~~。
そんなに古かったんだ…頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした後は用済みになって放棄されたらしい。
関所というと箱根が身近で、江戸時代のようなイメージが有ったけれど、江戸時代の関所は言わば第三世代…
白河の関は遥かに古く、第一世代の関所という事らしい。
神社入口には「古関跡の碑」が立っている。
1800年に建立!
碑の古さも凄いが、その時点では最新の技術で大昔の関所跡を断定したという誇りを持っていたらしい事がうかがえる。
15:43
しかし、これは一般的な江戸期の関所のイメージを復元してあるだけで、白河の関とは無関係‥と書いてあった。
16:02
イメージ関所の近くには芭蕉と曽良の像が立っている。
そうか、芭蕉も「奥の細道」でここを通ったんだ…
と単純にこの時は思っていたが、調べてみたら「奥の細道」は「奥州街道」
この「白河の関」は、実は奥州街道ではなく「東山道」。別名「義経街道」だった。
つまり芭蕉はここを通った訳ではなくて、奥州街道から外れ、わざわざ戻ってこの関所跡を見に来たのだった。
ただ、その時は関所跡がどこなのかはっきりせず、だいたいこの辺りという見当でうやむやに歌を詠んだらしい…
16:02
白河の関からもう少し南下すると、福島県と栃木県の県境‥昔で言えば奥州・蝦夷との国境だ。
義経も通った峠だけれど、松尾芭蕉はここまでは来なかったらしい。
何しろずっと歩きだからたいへんだ。
16:21
きょうは珍しくバイキング2食付き、しかも飲み放題付きだ。
チェックインの時に「もうすぐ夕食の時間ですから、先にお食事にしてくださいね~」って事だったから温泉は後回しでレストランに突撃。
宿泊者が少ないから夕食は18:00~19:30の1回のみだ。
18:21
食べものは、まあ普通。
生ビール?サーバーと日本酒サーバーが並んでいて、サーバーにセットしてあるのは普通酒だった。
まあ、この値段(7,344円)で飲み放題だから…と最初は普通酒を飲んだけど、2杯目くらいにふと気がついた。
隅っこの方に大吟醸、純米酒、純米吟醸も置いてある!
これは凄い!
もちろん全種試飲。
ただ、気づくのが遅れたせいで既に酔っ払い状態。
どれもウマいし、大吟醸、純米吟醸の違いが良く分からない…
18:42
トドメの大吟醸のツマミにカレーライスを食べて終了。
超満腹だし超酔っ払いだし、温泉に入る余裕も無くなってベッドに倒れこんだ調査団であった。
18:44