屋島ドライブウェイから麓に降りてきた。
源平合戦史跡の案内石柱が随所に立っているけど、これがなかなか分かりにくい。
09:16
そういえば、ここも「だんのうら」。
しかし、「だん」の文字が修整してある。
ここで初めて気がついたけど、平家が滅びた関門海峡の「壇の浦」とは微妙に漢字が違っていて、こっちは「檀の浦」だった。
安徳天皇社から佐藤継信の墓へ行くのに、タブレットの地図が見られないから一苦労。
狭い分かれ道がけっこう有って、ちょっと進んでは戻り、坂を登ったり降りたりして、やっと発見。
09:23
ここには佐藤継信の墓と書いてあるけど、実は墓は別の場所に有るらしい。
じゃあ、これは何?
「義経が1185年に丁重に葬ったあとを受けて、1643年に松平頼重公が建立した。」と言うが…
ともかく、佐藤継信の墓のようなモノを一応拝んでから、檀の浦を回り込んで、反対側へ。
「むれ源平石あかりロード・源平の古戦場」案内図を見ながら作戦タイム。
「駒立岩」の手前に有るのが「いのり岩」
那須与一が扇の的を射る前に、もしも外したら源氏の恥。その時は切腹の覚悟でこの岩に祈ったらしい。
「いのり岩」のちょっと先に進むと、いよいよ「駒立岩」と…扇の的が現れた。
扇の的は思ったより近く感じる。
調べてみたら、平家物語には七、八段とあり、これは76mから87mという事だったが…
(現在、弓道の遠的競技では60mが標準的らしい。)
義経の弓流しを探しながら戻ってきたら、気づかずに通り過ぎて「総門」まで来てしまった。
09:43
さっきの駒立岩もそうだけど、すぐ近くに民家が迫っていて雰囲気はイマイチ。
これも松平頼重公だ。
500年ちかくも経ってから、いろいろ頑張ったものだ。
また戻って通り過ぎ、周りをウロウロしてやっと発見した「義経の弓流し跡」
これは...
09:50
う~ん
まあ、弓を流した「跡」なんか残ってるわけないし、こんなもんかもしれないが、もう少しナントカならないものか?