いわ旅行記
写真で語る旅行記、地図付き。
2016年07月13日(水)~07月15日(金)
いつもならば沖縄へ、珊瑚の生育状況調査に行く時期であるが...
まだ他に行っていない場所がたくさん有る。という助手の猛反対により叶わず。
未調査地点から厳選して「世界遺産白神山地」を今回の調査地に選定した。
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竜飛岬/白神山地その4
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案内に従って駐車場(無料)に車を入れた。
売店で美味そうなものを売っているけど、まずはさっき見えた橋の方へ行ってみよう。
なるほど!それで、これが太宰治の碑か?
…と思ったら「吉田松陰詩碑」?
雰囲気がなんとなく太宰ぃってると思ったけど、なぜ吉田松陰?
確かに吉田松陰は津軽海峡防衛検分の為に津軽を旅している。
だが、しかし、松陰は十三湖から算用師峠まで来たけれど、岬までは来ずに三厩へ降りたらしい。
軟弱…いやいや、これこそ勇気有る転進だ!
弘前国道維持出張所サイトより引用ーーーー
吉田松陰は小泊から海岸沿いに北上し、途中から山道に入る。当時津軽藩は旅人がこの道を通ることを禁じて道をつくっていなかった。
そのため松蔭は谷間をのぼり、 膝まで水に漬かりながらあちら側、こちら側と沢を幾度も越えてようやく算用師峠の頂上に至る。
嶺を下ると、2、3尺も雪が残っており、雪の中を歩き、さら に雪解け水が大流となっている川を何度も渡って、
「困苦太甚し」という苦行の末に、やっと三厩の海岸に出たという。
この時、松陰が算用師峠で詠んだ詩文の碑が昭和41年竜飛崎に建立された。
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北側には竜飛岬灯台と津軽海峡、その向こうにかすかに北海道も見える。
この北のはずれでは、まだまだアジサイの季節だ。
14:23
ここに来るまでに、「竜飛岬」「龍飛岬」「龍飛埼」と、いろんな表記が有って悩ましいが、灯台は「龍飛埼灯台」というのが正式名称らしい。
…かと思えば、すぐ横には龍飛「崎」と書いてあるし…もう
14:30
しかし「埼」でも「崎」でも「ごらん あれが たっぴ・さき きたのはずれと…」ってリズムが合わない。
調査団としてはやっぱり「竜飛岬」を正式採用する事を満場一致で決議した。
その北のはずれ、竜飛岬先端は高山植物の咲く礼文島みたいだ。
14:31
灯台の横から、さっきの階段国道を歩いている人が見えた。
その根性に脱帽。
まあ、ここまで来たら歩くのが普通か‥でも後悔はしていないっ。
14:37