海岸沿いに少し歩き、水族館の前を通って雄島入口に到着。
9:05
島へ向かう途中の切り通しにも、修行の為?の岩窟や像が彫られている。
9:07
向こうの方にもアサリを獲っているらしき人がたくさん見える。
あの人たちは漁師には見えないけど、一般人も獲って良いのかな?
調べてみたら、獲って良い期間が決まっていて、その期間内に個人的に家族分くらい獲るのなら良いらしい。
雄島解説
雄島は松島を代表する島で、芭蕉の奥の細道の頃よりもはるか昔から有名だったらしい。
しかーし、
草加宿の石碑「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」
‥.の続き
「舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。」
……
道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。
もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより
「松島の月先心にかゝりて」
やっぱり松島といえば芭蕉。芭蕉といえば松島。
9:11
ところが、その芭蕉は松島に一泊しただけで翌日にはすぐに平泉へ向けて発ったらしい。
「先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。」
海に映る月を見て満足したから良いのか…
江戸から1ヶ月以上もかけて歩いてきたのに…
そういう我々は、今回月を見ていない。
昨日4/18は月齢28.7…新月なのは最初から分かっていたし
桜がメインのスケジュールだから止むを得ない。
芭蕉は?ちゃんと計算して来たんだろうか?
koyomi8.comさん「こよみのページ」から引用
松尾芭蕉が松島を訪れたのは元禄2年5月9日。
今の暦では1689年6月24日。
その日は上弦の月だ。
月の出は12:13で、ほぼ真東に昼間から見えたはずだけれど、雄島から「昼のながめ又あらたむ」と言うからには芭蕉が見たのは昼ではないけれど、真っ暗にはなっていない逢魔が時と思われる。
たぶん18時頃に真南に高く登った上弦の月を見たのだろう。
こんな感じ…
うーん、次回は月をメインに予定を立てよう。
雄島からは、松島湾の島々がよく見える。
松島には260以上の島が有って、その全てに名前が付けられているらしい。
すぐそこの島、右が亀島で左が鶴…じゃなくて鯨島。
なんで鶴じゃないんだ?でも、なんとなく雰囲気は分かる。
しかし、これを二つ合わせて双子島というのには疑問が…
9:13
頼賢の碑の横には東屋があって、のんびり座って松島湾を眺める事ができる。
9:17
「朝よさを誰まつしまぞ片心」芭蕉翁
「松島や 鶴に身を かれほととぎす」曽良
う…ん、難しい。
芭蕉といえば「松島や ああ松島や 松島や」
じゃなかったのか…
調べてみたら、この句は江戸後期の狂歌師「田原坊」が詠んだものだった。
この「朝よさを‥」は奥の細道に出発する直前に詠んだもので、芭蕉は松島では句を詠んでいないらしい。
曽良が一句詠んだ後、「予は口をとぢて眠らんとしていねられず。」と…
あまりの絶景に口を閉じてしまったようだ。
「絶景にむかふ時は、うばはれて不叶(絶景の前では黙して語らず)」