能登の揚浜式製塩の技術 更に能登半島を進んでゆくと「国指定重要無形民俗文化財」を発見。
「能登の揚浜式製塩の技術」か…これは研究しなければ。
しかし、周りをウロウロしたけど、見学できそうな入口が無い…
13:22
道の駅珠洲塩田村 仕方なく、ユルユルもう少し進んだら「道の駅 珠洲塩田村」が有った。
13:24
道の駅 珠洲塩田村 ここは、ちゃんと見学できそうだ。
しかも塩づくり体験もできるゾ…
いや、9月末までか…ちょっと残念。
いや、これはホントに残念だ。
奥能登揚げ浜塩 入り口に「奥能登揚げ浜塩」の試食品?が置いてあって、ちょっとなめてみた。
確かに、この塩は旨い!
普通の塩はただしょっぱいだけだが、「奥能登揚げ浜塩」はしょっぱい中にも味が有る。
これが、さっきの「棚田米天然塩むすび」の秘密に違いない!
だが、しかし…50g400円!
1kgあたり8,000円!専売公社(古っ)並塩の100倍以上だ!
13:28
道の駅 珠洲塩田村 塩づくり体験はできないけれど、施設には入場料100円で入る事ができる。
13:34
珠洲の揚げ浜塩 400年の技と味!
こりゃ大変な仕事だ。
道の駅すず塩田村 屋内展示も数は少ないけど、なかなかイイ。
道の駅珠洲塩田村 ここが塩づくり体験用の塩田だ。
13:41
道の駅珠洲塩田村 塩づくりはシーズンオフで体験できないけれど、海水運びだけは体験できる。
両方で80kg!
左右のバランスをとるのがけっこう難しくて、3回目でなんとか持ち上げ成功!
毎日これを担いで浜から塩田まで20往復。
しかも、それは朝5時の朝飯前の仕事…
その後にもハードな仕事が待ち受けている。
50g400円の塩になるのも納得せざるを得ない。
道の駅珠洲塩田村 塩田の奥には釜屋があって中も見学できたけど、真っ暗で写真が撮れなかった。
13:43
ゴジラ岩 次は「ゴジラ岩」の看板を発見して停車…
しかし、どれが「ゴジラ岩」?
13:58
ゴジラ岩 あれか?!
う~ん…ちょっと寂しい。
ゴジラ岩は、やっぱり知床ウトロがイイな。
実は、ゴジラ岩は西伊豆や伊豆大島、秋田男鹿半島、和歌山那智勝浦にも有るらしい。
地球環境調査に終わりはない…
13:59
道の駅狼煙 いよいよ能登半島先端に近づき、どこが先端かとキョロキョロしながらゆっくり走っていたら「道の駅狼煙」を発見。
14:21
禄剛崎 先端へ歩いて行く道が分からなかったけど、さっき何人か海の方へ歩いて行くのが見えたので、同じ方向へ進んでみた。
14:31
禄剛崎 階段をはぁハァ言いながら登って、禄剛崎灯台に到着。
14:36
禄剛崎灯台 禄剛崎は(ろっこうさき)と読むらしい。
ふ~ん…日本で唯一「菊の御紋章」が有る灯台。
しかし、なぜここだけなのか書いてない。
禄剛崎灯台菊の御紋章 もちろん、歴史的文化的研究に来ている我々は調べましたよ。
明治時代から菊の御紋章の使用については非常に厳しい制限があって、許可なしには使えないはずなのに、なぜここだけ付いているのか?
ここは日本で最初の国産灯台だったから?
しかし、調べても謎は深まりばかりだ。
最初の国産灯台だから工事中の様子や完成・点灯開始時には官報で盛大に報じられたが、その時にはこの記念額は付いていなかったらしい。
完成の何年か後、御紋章使用の許可もなく、取付けの記録もなく、公には知られないうちに取り付けられたものだった…う~ん…
禄剛崎灯台菊の御紋章 まぁともかく、この記念額には「明治十六年七月十日初点燈」と書いてある。との事であるが、どうしてもそんなふうには読めない。
いろいろ悩んだ結果
点 日 月 年 十 明
燈 初 十 七 六 治
↓\↓\↓\↓\↓
という事のようだ。
なるほど!
こんなところで、別の謎が解けた!
青函隧道 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それは 青函トンネル入口を視察した時の事であった。
中曽根康弘書の「青函隧道」の文字がなぜ右書きなのか?
なぜ署名は縦書きなのか?
これ!コレ!!
「道 隧 函 青」も横書きではなく、縦書きだったんだ!!
↓\↓\↓\↓
昔の横書き文字が右書き(のように見える)のも、こういう事だった。
つまり昔、日本語に横書きなんてのは存在せず、すべて縦書きだった。
縦書きの縦の文字数が限られてくると、当然改行して左へ進む。
そういう事か~
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禄剛崎灯台 午前中は青空いっぱいのいい天気だったのに、だんだん雲が増えてきた。
14:42
禄剛崎灯台 佐渡や立山が見えるらしいけど、きょうは無理だな…
残念。
14:49

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