いわ旅行記
写真で語る旅行記、地図付き。
2019年11月24日(日)~11月26日(火)
遅い秋を待つ調査団は、調査のタイミングをつかみきれずにいた。
忙しいわけではないが、時間が取れない‥ 遂にエイヤっと
「地球温暖化の、紅葉の時期と色に与える影響についての調査(その12)」
好機を逃した感もある本調査出発!
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岡城/温泉県その3
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西の丸跡から向こうの方には、複雑に入り組んだ石垣が本丸の方へ続いているのが見える。
14:47
一旦、大手門跡に戻ってから本丸方向へちょっと進み、さっき西の丸跡から見えた石垣の上に出た。
14:51
向こうに見えるのは「家老屋敷跡(覚左ヱ門)」らしい。
14:52
ウェザーニュースの紅葉情報で、他の紅葉名所は見頃を過ぎているのに、ここだけまだ見頃となっていたのを半信半疑で来てみてほんとうに良かった。
14:54
隣の「城代屋敷跡」は紅葉と黄葉の競演が素晴らしい。
14:56
巻き物には「西中仕切跡」と書いてあるけど、現地の石柱には「貫木門跡」と書いてあるし、さっきの鳥瞰図には「西中仕切門」と書いてある…
石垣などで仕切っている構造全体を「西中仕切」、そこに付いている門が「西中仕切門」。
「貫木門」というのは、門の形式なのか?
しかし、調べても「冠木門」や「腕木門」は出てくるが「貫木門」は出てこない‥
14:59
「太鼓櫓跡」を抜けて、ちょっと広くなって石碑が立っているところが「三の丸跡」。
15:01
しかし、周りは複雑な石垣で囲まれていて面白い構造だ。
15:02
高い石垣は北にずっと続いていて、あの向こうが「二の丸跡」らしい。
15:03
天気がどんどん回復してきて、「三の丸跡」からは、くじゅう連山が綺麗に見えた。
「三の丸跡」を通り抜けて「二の丸跡」に入ってきた。
15:04
「二の丸跡」解説
なんと!
ここには「月見櫓」と「風呂屋」!!が有ったらしい。
これもぜひとも復元して欲しい!
「二の丸跡」からも、見事な紅葉の向こうに、くじゅう連山が見える。
その前に、何か城には似つかわしくない銅像が立っていた。
15:05
「瀧廉太郎像」
そうか!そういえばさっき「荒城の月を生み出した城跡」と書いてあった。
また「荒城の月」か? 荒城の月のモデルが幾つ有るんだよ…と思いながら進んできたが‥
「荒城の月」と言えば、「
会津若松鶴ヶ城」と
「
仙台青葉城」を思い出すが、それらの城は作詞家「土井晩翠」がモチーフとしたものだった。
こっちは作曲家「瀧廉太郎」のイメージの元となったのか…
「二の丸跡」からちょっと石段を登って、岡城で一番高い場所が「本丸跡」
東側にも高い石垣が組まれていて、防御は完璧だ。
15:14
本丸の北にも、まだ石垣が延びている。
だが、そろそろ「ぼくのだいすきなおんせんのぱわーのけんきゅう」の時間が気になってきた。
15:14
夕食前にたっぷり研究しなきゃいけないから、ここらで撤収~
おすすめ順路は「西の丸跡」奥の「江戸門跡」から「七曲り」を下って駐車場へ戻るルートだったらしいが、この時は気づかずに来た道を戻った。
しかし傾いてきた日に映える紅葉が見られたからヨシ!としよう。
15:24