大井川 越すに越されぬ大井川。
きょうは長雨の後だからそれなりの雰囲気は有る。
しかし、普段は安倍川と同じくカラカラで、ちょっとした長靴だけで十分渡れそうだ。
下流側に見えるのは、さっき通った東海道本線の橋。
11:03
大井川 上流側には国道1号バイパスと、その向こうは第二東名。
(ちなみに、この渡っている橋は旧国道1号線)
大井川 渡り終わったところに巨大な石碑が立っている。
しかし、字が読めないし、あたりを探しても解説が見当たらず、なんの碑なのかは謎のままだ。
11:13
大井川 堤防を歩いていると、河川敷に何か石碑が見えた。
11:22
大井川 川越の跡か?!
と思って降りていってみると、これも謎の石碑だった。
「日本橋より 31番宿」「68里34町‥」
と書いてある。
ふんふん。。?
なんかおかしい?
さっき見てきた金谷一里塚は「江戸へ53里」だったゾ!!?
大井川 横をみると「荒井宿」と書いてある!?
島田宿と金谷宿の間に川越専用の荒井宿ってのが有ったのか?
と、この時は思ったが…
後日、詳しく調べたところ
ここは大井川河川敷マラソンコース「リバティ」として整備されていて、コース上に一定間隔で東海道五十三次の各宿場の石碑が建っているのだった。
「荒井宿」は「新居宿」の事だった。
「新居」と書いてあれば、何か気づいたかもしれないが…
しかし、島田宿川越遺跡のすぐ目の前はやっぱり島田宿の石碑になるように配置を考えてほしかった…
ともかく、このマラソンコースもいつか完走(完歩)調査しなければならないだろう。
大井川島田宿川越遺跡 河川敷から出てきて目の前が「大井川島田宿川越遺跡」
いい雰囲気の街並みが残っている。
11:27
朝顔の松 博物館に入る前に、右側(下流側)の「朝顔の松」を見学。
11:29
朝顔の松の由来 「朝顔の松の由来」

ふーん…
なんというか、超偶然が超重なり過ぎで、見えなくなった目が急に見えるようになったり…超超有り得ない。
白内障は自然には治らないし、最初に見えたのが松の木だったからどうだと言うのか?
いや、物語にいちゃもん付けても…しかし、その後どうなったのか気になるし‥
この浄瑠璃「生写朝顔日記」については、後でじっくり調査してみよう。
(そもそも浄瑠璃とは?ってところから始めなきゃいけないから、調査には時間が掛かるであろう)
島田市博物館 いよいよ島田市博物館へ入っていく。
入場料は本館・分館合わせて300円。けっこうお手頃価格だ。
11:31
島田市博物館パンフレット 島田市博物館パンフレット
立派な建物のこっちが、もちろん本館。
分館は少し離れている。
島田市博物館パンフレット 島田市博物館パンフレット
島田市博物館 川越に関する事だけでなく、江戸時代の旅についていろいろな展示がけっこう面白い。
川越賃銭 川越制度が始まってからは、川越賃は水の深さによって決められて、厳密に運用されていたらしい。
この制度が始まる前は賃銭は当事者同士の交渉で、ボッタクリが横行していたようだ。
不当なボッタクリや、それを嫌って自分で渡ろうとして流されたりする事故を防ぐ為の、良い意味でのお役所仕事だ。
川越賃銭 ただ、例えば「帯上通」の水位の時に68文で渡してくれたわけではなく、この賃銭は人工単価だった。
つまり、「帯上通」の時は「肩車」でも補助者が必要なので2人工。川札を2枚、136文払わなければならなかった。
台に乗せてもらうには、更にプラス2人工分の「台札」を買わなければならない。
庶民にはけっこうキツい金額だ。
川札台札 これが「川札」と「台札」
往来手形 更に、川越は関所も兼ねていて、関所を通る時と同じように往来手形を見せなければならなかったらしい。
島田宿大井川川越遺跡 博物館本館を出て、別館の方へ向かう。
12:22
川会所 少し歩くと、何やら復元されたモノらしき古風な建物を発見。
12:24
大井川の川越 「大井川の川越」
これが島田市博物館別館かと思ったが、どうも違うようだ。
松尾芭蕉句碑 敷地内には松尾芭蕉句碑が立っている。
「馬方は しらじ時雨の大井川」
って木に書いてあったから分かったけれど、石碑に書いた字は全然読めない。
博物館で見た往来手形は少しはマシだったが、昔の人はほんとに読めたんだろうか?
大井川川会所 外からのぞいてみると、中にもいろいろ展示されている。
「ご自由にご覧下さい。」とか何にも書いてないから入っていいのかちょっと悩み、周囲に係員が居ないかちょっと探し、誰も居ないけどどう見ても無料見学施設のようだから入らせてもらった。
12:26

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