いわ旅行記
写真で語る旅行記、地図付き。
2019年05月02日(木祝)~05月06日(月祝)
史上初の10連休。各地で大混雑大渋滞が予想されていた。
しかし、10日間もじっとしているのはもったいない。
日本の道実走調査(その1~3)を完了していた調査団は
次の使命として旧街道の歴史的文化的調査を思いつき‥
い、いや慎重な検討の結果、選定した。
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島田宿/旧東海道その4
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靴を脱いで上がってみると、なかなか面白い。
これが無料とは嬉しい。
12:27
管理しているのは島田市教育委員会らしい。
奥に座っているのは川庄屋。
川庄屋は、道中奉行~代官の下につく、けっこう偉い人のようだ。
道中奉行は、東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道の五街道や他の主要な街道を支配管理していて、今の国土交通大臣相当らしい。
江戸幕府では全国に60人居たという代官は、律令国や郡ごとに置かれた役人で県知事や市長相当?
川庄屋は調べても出てこない。
しかし、「庄屋は、江戸時代の村役人である地方三役の一つ、郡代・代官のもとで村政を担当した村の首長。身分は町人」というのが見つかった。
しかし、川庄屋は町人という割には立派な格好をしている。
年行事は見た目も町内会役員的な感じだ。
当時使っていたモノかどうか分からないが、各種蓮台も展示されている。
奥の部屋には大名が使ったと思われる豪華な蓮台も有った。
川会所を出て島田宿方向(東)に、復元された川越街並みが続いている。
12:33
その街並に「札場」を発見。
札場は、中の帳場らしきところも復元されている。
札場解説
札場の数軒隣の三番宿には、川越人足の六さんが控えている。
12:37
しかし、その向かいの二番宿は表札も出ていて、今でも住居として使われているようだ。
その隣の立派な屋敷が島田市博物館分館。
12:39
ただ、ここは江戸時代の川越とは関係ない建物だった。
明治時代の立派な屋敷内部が公開されているが、特に由緒あるものではなく「ふ~ん、すごいな、こんな屋敷に住めたらイイな」
というだけで通過。
奥の方に版画美術館と民俗資料館も有ったが、これも今回の研究テーマからは外れていて、なんとなく素通り。
島田宿へ向かって歩いて行き、立派なお寺を発見。
13:10
「大善寺」だ。
ここの鐘の音が大井川川越の始まりと終わりを告げていたらしい。
現在は、1日と15日に撞かれている…昨日なら音が聞けたのか‥ちょっと残念。
いよいよ島田宿に近づいてきて、「大井神社」に到着。
ここは大井川を神様として信仰したのが始まりらしい。
13:15
中に入ってみたらけっこう立派な庭もあり、なかなかイイ。
13:18
「大井神社」って何か聞いた事があると思ったら、日本三大奇祭の一つ「島田大祭 帯祭り」の神社だった。
さて、大井神社を過ぎれば、もう島田宿。
(島田宿西側入口の桝形跡説明板は、ちょうど大井神社の向かいに立っていた。)
きょうの宿、島田宿本陣跡の「三布袋」に着いてしまった。
13:29
きょうは初日だし、途中見どころ寄り道どころがたくさん有るし、どのくらい歩けるか分からなかったので余裕を見て宿を取ったのであるが、余裕見すぎだった。
…というか余裕を見て藤枝宿を予約するつもりだったが、藤枝には空き室が無く、結局余裕が大きくなりすぎたのであった。
いくらなんでも宿に入るのは早すぎるので、一旦通り過ぎて島田宿本陣跡の調査に向かった。
13:31
本陣跡周辺は「おび通り」として綺麗な歩道が整備されている。
その通りを歩いていくと「島田御陣屋跡」が有った。
「御陣屋」って何?
代官所の事か~
全国に60人の幕府代官のうち一人が島田に居たのか!
大井川川越を管理するのはよほど重要だったらしい。
13:33
その後も「おび通り」や島田駅前をじっくり散歩し、食料を仕入れてからやっと宿へ入る時間。
16:05
ここの大浴場は男女時間交代制で、ちょっと小さめな風呂だった。
でも他に客は居なくてゆったり楽しめた。
100年以上続いているという「三布袋」も、今では普通のビジネスホテルになっている。
買ってきた食料で1日目の反省会開催。
前にも書いたように、ともかく余裕の見すぎで有った。
金谷駅から金谷坂石畳まで約1km
金谷坂から、アチコチ寄り道して島田宿まで、9km。合計約10km歩いてそれなりに疲れたが、初日とは言っても15kmくらいは見込んで大丈夫だという事が分かった。
翌朝、朝食無しなのでさっさと出発。
御陣屋跡を通り過ぎたところで、島田宿案内図を発見。
5月3日(金祝)07:35
更にもう少し先に、島田宿一里塚。
07:42
ここも一里塚と書いてあるけれど、一里塚跡というか一里塚跡地で、残念ながら昔の痕跡は見つけられない。
それでも道がゆるくカーブしているのは、昔のままらしい。