追分羊かん 追分と言えば江戸時代から300年以上続く「追分羊かん」
ここで、お茶を飲みながら「追分羊かん」を食べるのを楽しみにしていたのであるが…
きようは日曜日! 定休日だった…残念。
10:33
追分 ところで、このあたりは、ちびまる子ちゃんが生まれ育った地。
この東海道沿いに、いろいろゆかりの商店(みつや)跡や生家跡などが有るらしい。
是より志三づ道 そして、ここは「清水湊」へつながる「志三づ道」の分岐点(追分)で「是より志三づ道」と書かれた立派な道標が立っている。
これは元禄10年(1697年)頃の凄いヤツだった。
10:34
江尻宿案内図 その少し先の「江尻宿案内板」
これを、良~く見ておかなかった為に、この後ちょっとしたミスコースをしてしまう…
江尻宿木戸跡 江尻宿の西入口「江尻宿木戸跡」
「木戸跡」というのは「見付」と同じく、宿場の入口に見張り小屋のようなものを作ってあった跡らしい。
10:47
稚児橋 木戸跡から江尻宿の中を通って「稚児橋」
ここまでは間違いなかった。
10:54
稚児橋 稚児橋には河童の像が立っている。
稚児橋の由来 稚児橋なのになぜ河童か?
そのへんの由来が書いて有る。
このコンクリートの橋がいつ架けられたのかは分からないが、ともかく巴川の、ここ東海道江尻に橋が架けられたのは1607年!
巴川 ミスコースが起きたのは、ココ!
稚児橋を渡ってすぐに川沿いに曲がってしまったのが間違いだった。
10:55
巴川 川の堤防に「問屋場」とか「本陣」とか書いてあるものだから、この時は全然疑いもせず、「ここが問屋場跡、ここが本陣跡か…」と考えながら歩いていた。
10:55
東海道 そして堤防沿いの間違ったルートは、水神社で左折し…
11:01
東海道 すぐに、本来の東海道(清水銀座)に交差し、東海道はここで清水銀座から離れて我々の進路に合流する。
11:01
清水銀座 参考ーーーーーーーーーーーーーーーーー
旧東海道清水銀座
まあ本来の旧東海道も前に歩いた事が有るし、ヨシとしよう。
東海道 清水駅前通りも横断して、更に進むと…
11:10
辻一里塚跡 このへんに「辻一里塚跡」があるはず。
ウロウロ探し回ったけれど、発見できず。
ともかく、区間タイムは…86分~探し回った時間も入れると114分!
11:17~11:45
ほそいの松原 一里塚跡はあきらめて東へ進むと、旧国道1号に合流する。
12:04
ほそいの松原 合流地点は「ほそいの松原」
松原といっても、松は全然残っていない…
戦時中に航空燃料として伐採されてしまったらしい。
へ~…!松の油が航空燃料になるんだ!
しかし、206本の松を伐採しても、燃料としてそんなに採れたとは思えないが…
東海道 国道1号は、東海道本線を越える陸橋の為に旧東海道から左へ離れていく。
12:35
東海道 旧東海道は踏切で東海道本線を越えて…
12:37
東海道 国道1号バイパスの下をくぐったところで、また旧国道1号に合流する。
12:41
興津坐漁荘 その先で「興津坐漁荘」を発見。
12:48
興津坐漁荘 「坐漁荘」って何?
西園寺公望の隠居別荘…
ふ~ん…
坐漁荘 西園寺公望って誰?
第12代・14代内閣総理大臣。最後の元老だったらしい…
ふ‥ふ~ん…
元老って‥
坐漁荘 まあいいや、とにかく中に入ってみよう。
入場無料だし。
12:51
坐漁荘 意外な事に、洋風の部屋も有った。
別荘とは言っても、1年のうち3/4はここに滞在し、多くの政治家の興津詣でを受けて次期総理は誰が良いか?など密談が盛んに行われたらしい。
12:53
坐漁荘 2階からの眺め。
昔はあのグラウンドあたりまで海で、駿河湾、三保の松原、伊豆半島まで見渡せたらしい。
坐漁荘 こっちが三保の松原方向。
広縁がイイ感じだ。
12:55
坐漁荘 しかし、のどかに見える廊下も実は敵襲に備えた「うぐいす張り」だった。
他にも、浴室に脱出用隠し扉が有ったり、外には警察が24時間常駐警備していたり、「老いては座して漁をする」という隠居生活にはほど遠かったようだ。
12:56

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