いわ旅行記
写真で語る旅行記、地図付き。
2019年05月02日(木祝)~05月06日(月祝)
史上初の10連休。各地で大混雑大渋滞が予想されていた。
しかし、10日間もじっとしているのはもったいない。
日本の道実走調査(その1~3)を完了していた調査団は
次の使命として旧街道の歴史的文化的調査を思いつき‥
い、いや慎重な検討の結果、選定した。
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金谷宿・大井川鉄道/旧東海道その2
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金谷宿を歩くと、随所に看板が立っている。
道をあっちへ渡り、こっちへ戻り、けっこう忙しい。
ここは「脇本陣跡」
礎石の跡とか柱の穴とかあるのかと思って、周囲をぐるぐる調査してみた。
しかし普通の民家に看板が立っているだけで、痕跡はまったく分からない。
09:16
この石垣が本陣跡なのかと思ったけれど、どうも違うようだ…
更に更に「三番本陣跡」
もう、だんだん疲れてきて「跡」ってなんだよ?!
どこに跡があるんだよ....ただの跡地だろ…
まあ度重なる大火や震災の為に、跡形なくなってしまったらしい事は分かった。
(史跡保存会の活動に敬意を表します。)
09:21
「秋葉神社」だ。
やっぱり昔は火事の被害が大きかったから、火防の神、秋葉山の信仰は特に重要だったようだ。
更に進むと、大井川鉄道の踏切を越える。
ちょうど向こうで蒸気機関車が発車準備?をしているのが見えた。
09:41
きょうは初日だし特に時間的余裕をみてあったので、東海道からはちょっと外れるが、蒸気機関車もじっくり調査する事にしよう。
次の発車は10:38。
09:45
ここから先は有料(500円)だった。
お子ちゃまたちがいっぱいで、じいさんが一人で入って行くのには抵抗が大きく、遠くから見るだけにしておいた。
ホーム横に陣取って待っていると、やっと車庫から機関車が出てきた。
この機関車「令和」は左の客車「かわね路」の前に出てからバックし、連結するようだ。
10:16
連結作業が終わったので、さっきの踏切まで戻ってきた。
乗客の乗り込みは、記念撮影をしながらだからすごく時間が掛かっている。
10:20
2分くらい遅れて、やっと発車。
10:41
やっぱり、前回と同じように
蒸気機関車の煙が少ない…
というより、ほとんど煙が見えない。
大昔のように真っ黒な煙をモクモク吐いて走る姿を見てみたいものだが、特にこの辺は民家が多いから出来ないんだろうな‥
駅で止まっている時の方が煙出してるし
そう、コイツのせいで‥というか、おかげさまで真っ黒な煙は吐かずに済んでいるのでした。
ちなみに、この先頭で力を抜いているC56形蒸気機関車は自重65.5トンで定格出力505馬力。=371.4kw
後ろで頑張っているE101電気機関車は自重45トンなのに定格出力150kw×4=600kw
電気の力は偉大だ。
たっぷり寄り道をして、やっと踏切を越えて進んでゆく。
大井川が近づくと「九番宿跡」とか、いろいろ看板が目立ってくる。
川越を待つ人の為の宿か‥と、この時は思っていた。
10:44
大井川まで降りたところに「金谷宿川越場跡」があるが、そんなに見るところはない。
ただ、看板をじっくり見ていると「番宿 宿といっても宿泊施設ではありません。」と書いてあるのを発見。
へぇ~じゃあ川留めの時はどこへ泊まったんだ?
やっぱり金谷宿まで戻って泊まるんだけど、金谷宿もいっぱいになると更に手前の宿場に泊まったそうだ。
そういう時はちゃんと伝令というか通達が出ているから、川まで行って戻るわけではなく、ちゃんと手前の宿場で止められて強制的に泊めさせられたらしい。
10:46
島田側には博物館などいろいろ有るようだから、そっちに期待してスル~っと素通り。
大井川河川敷にも、川越の跡らしきものは何も見えない。
10:53
とりあえず橋を渡ろう。
車では何回も通った事があるけれど、歩こうとして立ってみるととんでもなく長く感じる。
10:56
この橋もけっこう年代物で「土木遺産」に指定されているらしい。
昭和3年架設と書いてある。
昭和3年は…1928年だ。90年も経ってるのか!!